ゆとり学部生の読書ノート

公法を中心に、気になった本について書きます。

日比野勤「政治過程における議会と政府―政治計画を素材にして」高橋和之編『岩波講座 現代の法 3 政治過程と法』(岩波書店、1997年)

執政権についての重要論文のご紹介です。

岩波講座 現代の法〈3〉政治過程と法

岩波講座 現代の法〈3〉政治過程と法

著者は東京大学日比野勤教授です。スメントを中心としたドイツ国法学の研究や、精神医学の知見を憲法学に取り入れる試みで有名です。

大要

本論文の問題意識は次のようにまとめられます。

つまり、憲法は、公共体にとっての重要な意思決定を立法によって行うことを要請しているが、立法に先行する「政治的計画」によってその意思決定が前倒しされることは、憲法上問題なのではないか、ということです。

日本では、そもそも憲法に「計画」という概念がないことから、政治的計画権の所在は、憲法秩序全体の構造から論証されるべきであると考えられます。他方、ドイツでは、機能論と効率論の二つの立場から、政治的計画権が政府の排他的管轄に服するという主張があります。

まず、機能論的論証とは、「活動する政府」と「統制する議会」という分類を所与のものとし、当然に政治的計画は政府的であるから、議会はそれに対して関与することができない、という論証です。

次に、効率論的論証とは、専門家集団である官僚機構を持つ政府こそが、効率的に計画を作成しうるという論証です。

しかし、両論証は、あまり説得的であるとは言えません。やはり、政治的計画に議会が参与できるように法解釈を行うべきです。そこで出てくるのは、ヴュルテンベルガーによる3つの基礎づけです。

まず1つ目は、国家嚮導行為論にもとづく基礎づけです。国家嚮導行為論とは、政治的共同体にとって重要な意味を有する基本的決定にかかわる行為は、議会と政府が共有すべきであるという考えです。政治的計画はもちろん国家嚮導行為にあたるので、議会と政府が共有すべきものであるとされます。しかし、国家嚮導行為論は、その不明確さゆえに憲法的論証としては説得的ではないとされます。

2つ目は、議会政民主主義の観点からの基礎づけです。議会政は、議会が政治的決定プロセスにおいて標準機関として機能するための条件を確保する必要があり、そのために官僚などの組織を用意する。あるいは、最終的に意思を決定し責任を負う審級である市民に対して、議会という公共の場における自由な討論を確保しなければならない、といった基礎づけが考えられます。

3つ目は、権力分立の観点からの基礎づけです。権力分立は、形式的標識に基づいて「分離主義的・分類学的」に行われるべきものではなく、分節されたプロセスにおける協働によって、諸審級が均衡を形成し、相互に抑制するものでなければなりません。そう考えると、憲法上、計画の作成のかなり早い段階で議会の共同形成権を認める必要があるという結論が導き出されます。

最後に、政治計画作成プロセスにおける議会の参与について触れられています。議会は、施策計画の作成と並行して進められる政治目標の優先順位に関する決定の段階において参与が可能になります。この段階では、目標計画における目標の優先順位と実現時期の適切性、承認される目標優先順位と作成中の施策計画の整合性、目標計画と分野計画の整合性について統制ができるようになるとされます。

感想

憲法学の文献では、「行政権の肥大化に歯止めをかけられるのは、議会だけだ!議会を復権させなければ!」といった論調の論文が多いように思います。本論文もそのような意識を共有しているのでしょう。しかし、議会がその本質上、専門性を欠く以上、行政権の肥大に対抗するのは難しいのではないかと思います。議会(あるいは政党)が、政府に匹敵する専門家集団を維持するのは容易ではないでしょうし、議会は「大衆性」を本質としているので、仮に専門家集団を持つことができたとしても、大衆性と専門性の接合は困難な作業になることでしょう。

やはり、行政権内部で、抑制・均衡のシステムを考える必要があるのではないでしょうか*1。この点、シンクタンクがうまく機能しているアメリカは、興味深いケースかもしれません。

なかなか面白い論文でした。今後もこの分野の研究を読み進めていこうと思います。

*1:おそらく、本論文97ページにある「対抗官僚制」というのは、そのような制度のことを指しているのではないかと思われます。引用先が明示されていないのでよく分かりませんが。