ゆとり社会人の読書ノート&エクセルVBA

素人が公法を中心に幅広く読書をします&エクセルVBA奮闘記です。

平井宜雄『損害賠償法の理論』(東京大学出版会、1971年)

民法学史上最高峰の誉れ高い論文集を読みました。

はじめに

本書は、著者が法学協会雑誌に投稿した論文を、未発表部分を含めて全面的に書き直して作られた論文集です。

損害賠償(債務不履行不法行為)の範囲を定める通則である民法416条の解釈として判例・通説の地位を占めていた「相当因果関係」を批判し、「事実的因果関係」・「保護範囲」・「損害の金銭的評価」の3要素に分解し再構成することを迫ります*1

通説の成り立ち

平井博士はまず、「相当因果関係」の母国であるドイツの議論を概観し、日本民法との間で、前提の違いがあることを指摘します。

「通説」が参照したドイツにおける議論

ドイツ法では、損害賠償における裁判官の裁量を縮減することを目的に「完全賠償の原則」が成立しているとします。完全賠償の原則とは、「損害賠償請求権を発生させる要件事実がいったん充足された以上は、発生したすべての損害が賠償されなければならない」という原則で、損害の予見可能性や行為態様は、損害の範囲には影響を及ぼさないことを意味します。つまり、損害の範囲は「あれなければこれなし」という事実的因果関係によって確定されます。例を挙げると、交通事故で病院に搬送された被害者が、本来であれば助かるべきところ、救急車の運転手の過失による事故で死亡してしまった場合、事実的因果関係の観点では、最初の交通事故と被害者の死亡という損害には(事実的)因果関係がある、とされてしまいます。もちろんこの結論は妥当ではなく、実際に発生した損害に対してどの程度賠償すべきかは証拠法上の問題とされます。損害賠償における当事者同士が損害の存否や額を具体的に立証するのは現実的には困難なので、裁判官が職権によって損害の事実の把握や賠償すべき額を決めるべきという構造になっています。平井博士によれば、このようなドイツ式の立法は比較法的に見て「きわめて稀」とされます。

そして、事実的因果関係はその後、トレーガーの提唱する「相当因果関係説」によって微修正され、ライヒ裁判所にも採用されます。ただし、この時点でドイツ民法は完全賠償の原則を捨てたわけではなく、相当因果関係説は、行為者の予見可能性をその判断に含まず、あくまで「特別に異常な・事物の通常の経過によれば考慮の外に置かるべき事情」のみを排除するだけの理論です。その後、トレーガーの相当因果関係説は学説から非難を浴び、遂には判例において、相当因果関係の判断は裁判官の自由裁量によって決せらるべきとまで判事されるに至りました。伝統的な相当因果関係説は大きく揺るがされることになります。

日本における相当因果関係説の受容

日本において相当因果関係説を最初に受容したのは石坂博士で、前述のトレーガー説をそのままに受容しました。その後、ドイツ民法学隆盛の中でその旗手たる鳩山博士によって、「416条=相当因果関係」の図式が完成し、富貴丸事件によって判例にも採用されることになります。

ドイツ法と日本法の差異

日本法の詳細は、立法沿革とともに以下で取り上げますが、責任範囲と賠償範囲を切断するドイツ法とそれらを結合する日本法は、その拠って立つ土俵が違うというのが平井博士の主張です。

英米法に基づく416条の再構成

日本法は、ドイツ民法学の影響を受けて「相当因果関係」を導入しましたが、416条はその沿革を英米法に辿ることができるとします。不法行為の参照先として、アメリカ法のグリーン教授の説、債務不履行の参照先として、イギリス法のHardley v. Baxendaleという判例を解説しています。

不法行為におけるグリーン説

グリーン説は、アメリ不法行為法学説において広く承認されている見解として紹介されています。グリーン説は、不法行為法の判断枠組みとして下記の要件を提唱し、議論を明確化します。

  1. 原告の利益は、法によって保護されているか 。
  2. 原告の利益は、その事件で問題となっている個々具体的な危険に対して保護されているか。
    1. いかなるルールが原告の利益を保護しているか。
    2. その危険は、上記ルールによって与えられるべき保護の範囲内に属するか。
  3. 被告の行為は、原告の利益を保護すべきルールに違反しているか。
  4. 被告の上記違反は、原告に損害を与えたか。
  5. 原告の損害は何か。

債務不履行におけるイギリス法判例

債務不履行における損害賠償もグリーンによって一般化され、イギリス法で債務不履行におけるルールとして承認されている、Hardley v. Baxendale事件を引き合いに、下記のような定式が提唱されています。

  1. 原告によって主張される利益が合意の条件によって保護されるか。
  2. 原告によって契約違反をなすとして訴えられたところの特別な危険が、その合意の範囲内に入るか

判例・通説への影響

本書の見解は、学説に大きな影響をもたらしましたが、判例通説を変えるまで至ったわけではありません*2。もちろん、その問題意識は広く共有された(と聞き及んでいる)ものの、その影響範囲を解説するのは私の力量を大きく超えているので、またの機会にしたいと思います。

*1:法学者による本書の簡単な説明として、内田貴民法Ⅲ 債権総論・担保物権法』(東京大学出版会、2005年)157頁以下参照。当該箇所は、要約としてのレベルは高いですが、この部分だけで『損害賠償法の理論』の問題意識を理解するのは、素人には困難です。 uyutomo.hatenablog.com

*2:本書の影響範囲は、刑法学にまで及んでいると聞いていますし、実際に不法行為による損害賠償の説明には刑法とパラレルに説明している部分もあります。