ゆとり社会人の読書ノート&エクセルVBA

素人が公法を中心に幅広く読書をします&エクセルVBA奮闘記です。

石川健治「『京城』の清宮四郎」酒井哲哉=松田利彦編『帝国日本と植民地大学』(ゆまに書房、2014年)

「統治のヒストーリク」で予告されていた、外地法についての論文だと思われます。100ページにわたる大論文となっています。

大要

はじめに

清宮四郎の文献情報について

一. 玄界灘を渡って―「半島」の風景

松岡修太郎を通じて、朝鮮統治の実務的アドバイスを求められる城大の特殊性を指摘。清宮にとってのそれは、外地法にあたる。

二. 植民地法学への取り組み―「法域」の物語

外地法をドイツから輸入するに際しては、ホフマンの『ドイツ植民地法』が種本となった。ホフマンは植民地を「例外的にのみ本土と統一的な法域(Rechtsgebiet)をなす国家領域(Staatsgebiet)」と定義した。この定義は、植民地を支配の対象ではなく1個の領域として捉え、国家領域内部の区別の標識として「法域」を導入したことである。その後、植民地法学の基本書は、シャックによるものがスタンダードとなったが、清宮はあえてホフマン説の洗練を選択した。

三. 一般理論の探究―領土論からのアプローチ

国家という器を作ってから憲法を充填していかざるをえなかったドイツにおいては、「国家」「国民」「国権」の3要素によって国家が定義され、連邦は主権国家、構成国は非主権国家という図式が成立した。そうすることで、「国際法上は『国内』、国家法上は『外国』」である植民地を国民国家に引き留めることにした。同様の問題は、韓国併合後の日本でも浮上し、国際法学者・立作太郎と美濃部達吉による論争となった。レッセ・フェールを貫いた美濃部は、強制こそしなかったが、植民地法を清宮の宿題とした。清宮の植民地観は、多民族国家オーストリアでの体験から、同種同文の民族が共存する多民族帝国が理想となった。

五. 帝都ウィーンと帝国学知―清宮・外地法論の原像*1

清宮が留学した頃のウィーンは、ケルゼンの下にオーストリア帝国各地の優秀な若手研究者が終結しており、独自の雰囲気を持っていた。清宮はここで、無名の若手であったヘンリヒと出会い、傾倒していくこととなる。ヘンリヒの「国家領域」論では、「法域」は、「法秩序の内容における空間的関係の集合ないし総体」であり、これに対する「国家領域」は、「国家機関の場所的権限の総体」と定義される。ここで注意されなければならないのは、国家の場所的権限は、国家の事項的権限を区別されることである。このように考えると、植民地は、国際法上はあくまで「国家領域」の構成部分をなし、ただ国内法上、国家機関の事項的な権限範囲に区別があるもの、と定義される。つまり、植民地と本土の関係は、事項的権限の相違に過ぎないという意味では、州や道と国との関係と全く変わらないのである。

六. 学知と統治―天皇機関説事件と清宮・外地法論

この時点で予定の紙数を大幅に超過しているよう(笑)

ヘンリヒやショムローの批判を受けたケルゼンは、『一般国家学』において次のような応答をする。すなわち、法学という方法で認識可能なのは客観的に存在する法秩序だけだという法実証主義的な立場を徹底し、権利・義務の担い手としての(国家)法人という観念を否定する。その代わりに、国家という法人が持っていた主観的権利ではなく、客観法としての国家法秩序が、より具体的な法命題を創設しながら降下していくという「法の創設」という概念を導入する。だが、日本においては、ケルゼン説の受けは悪く、ヘンリヒ説が受け入れられた。『一般国家学』の訳者たる清宮は、当然ケルゼン説を受け入れるかと思われたが、ヘンリヒの理論をケルゼンの枠組みで捉えなおそうと試みる。清宮によれば、本国と外地の区別は、第1に動態的標識、第2に静態的標識によってなされる。動態的標識とは、「該部分領域に於ける国家行為の定立の仕方」であり、静態的標識とは、「該部分領域に於ける法」である。動態的標識による例外的統治の根拠は、「特別の必要」に求められている。この考え方によれば、内地人・外地人は、戸籍に関する法定立の仕方よって区別されることになる。この見解に対しては、松岡修太郎からの批判が浴びせられた。

おわりに

1941年、清宮は東北帝国大学に移り、京城学派は事実上の終焉を迎える。東北帝大に移ってからも「宿題」である外地法の完成に勤しんだ。その結果は、「外地の法的概念」と『外地法序説』に結実する。

感想

100ページに及ぶ大論文で、とても読み応えがありました。内容的には、「統治のヒストーリク」の行間を埋めつつ外地法に焦点を当てているようでした。本論文をより簡潔にしたものに、「憲法のなかの『外国』」があります。まずはこちらで概略をつかんでから本論文にチャレンジすると読みやすくなると思います。

少なくともケルゼンのことは頭に入っていないと、論文を読み解くのは困難かと思います。『一般国家学*2』を読む必要性をひしひしと感じました。ヘンリヒ、ショムローについては、『学問/政治/憲法*3』所収の「窮極の旅」が参考になるでしょう。

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