ゆとり社会人の読書ノート&エクセルVBA

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林知更「ドイツ―国家学の最後の光芒?:ベッケンフェルデ憲法学に関する試論」辻村みよ子=長谷部恭男編『憲法理論の再創造』(日本評論社、2011年)

憲法理論の再創造』から2本目の論文の紹介です。

大要

戦後、日本憲法学の「準拠国」の地位を追われたドイツ憲法学が、近年、再び参照されるようになるまでに、どのように変化してきたのかを追った論文です。ベッケンフェルデを中心に、日本憲法学にとってのドイツ憲法学の空白の期間を解説しています。

戦後ドイツ憲法学で1つの画期となったのは、60年代であるとされています。ベッケンフェルデはその中心人物で、「シュミット学派」の一員でもあります。彼が憲法を学ぶときに対峙していたのは、ワイマール期の先達シュミットでしたが、彼も含めた戦後派にとっての仮想敵は19世紀の実証主義的国法学の古典学説であり、シュミットは、古典学説を批判的に検討する「道具」でした。つまり、戦後ドイツ憲法学は、カイザーライヒとの対決と、ワイマール期の選択的な継承・発展という2つの課題を負っていました。

「カイザーライヒとの対決」について国家理論の前提となる「国家観」の点から見ると、実証主義的国法学の学説は、非政治的で中立的な概念枠組みを用いて、法と国家の本質に関するほう理論的な公理から濃く北条の具体的な帰結を導き出そうとしました。他方、非政治性・中立性とは裏腹に、19世紀ドイツ立憲君主政に特有の国政構造を前提とするものでした。

ベッケンフェルデは、憲法を概念法学から解放するとともに、適切な問題解決のため、様々な学問的知見を取り入れて、新たな体系を立ち上げようとしました。ただ、多様な論拠が憲法流入することによって、理論的一貫性が犠牲になるのではないかという課題が生まれることになります。

では、違憲審査制という特有の条件が加わった戦後ドイツ憲法学において、「新たな憲法論」とはどのようなものになるのでしょうか。ベッケンフェルデは、違憲審査制の導入によって方法論的多元主義に陥った判例・学説に対して、憲法学・国法学のドグマーティクとしての性格を強調します。かの有名な「基本権理論と基本権解釈」論文で示された基本権解釈がこれにあたります*1。ベッケンフェルデは結局、実定法解釈論の外部において、法実践から距離を置いてその意義を批判的に分析するようになり、高踏的な憲法理論へとシフトしていきました。つまり、憲法に対する「偉大な反対者」としての立場に到達したのでした。

トップダウンの理論的考察とボトムアップの問題解決*2の中で、憲法理論を構築していかざるを得なかったベッケンフェルデのジレンマは、日本憲法学にとっても、重要な先達の1人として再読されるべきであると結論付けます。

感想

結論としては全く妥当なものだと思います。ベッケンフェルデの陥ったジレンマは、法科大学院制度が導入された日本において、より重要な意義を持つものだと思います。昨日紹介した石川健治「アプレ・ゲール、アヴァン・ゲール」に登場するような、理想論を振りかざす「戦後派」は、憲法学にはなくてはならない役割のはずです。もちろん全部がそうである必要はありませんが。今後の憲法学がどうあるべきかについては、巻末の座談会でより詳しく述べられています。興味のある方は是非ご参照ください。
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*1:E・-W・ベッケンフェルデ(小山剛訳)「基本権理論と基本権解釈」初宿正典編訳『現代国家と憲法・自由・民主制』(風行社、1999年)

*2:ベッケンフェルデは、連邦憲法裁判所の判事でもありました。