ゆとり学部生の読書ノート

公法を中心に、気になった本について書きます。

石川健治「アプレ・ゲール、アヴァン・ゲール―コードとしての『戦後』」辻村みよ子=長谷部恭男編『憲法理論の再創造』(日本評論社、2011年)

戦後憲法学についての論考です。

憲法理論の再創造

憲法理論の再創造

大要

本論文では、戦後憲法学を担う憲法学者の相違を追っています*1

戦後すぐの憲法学を担ったのは、宮沢俊義、清宮四郎、鵜飼信成らのオールド・リベラリストでした。彼らは、解釈論に注力しすぎて、憲法改正において力を発揮できなかったことを反省していました。彼らの関心は、「天皇制と国民主権」、「立法、行政及び司法の三権の関係」、「基本的人権をその限界」でした。

そこに登場したのが、「全国憲法研究会」を立ち上げることになる戦後派憲法学者です。高柳信一、小林直樹芦部信喜、針生誠吉、和田英夫、長谷川正安らがメンバーとして挙げられます。彼らが登場した時代は、まさに朝鮮戦争後の「戦中」であり、55年体制で確立した保守政権に対して、社会派と護憲派憲法学とは共闘して対抗することになりました。

上述の戦後第1世代を承けて登場したのは、杉原泰雄、樋口陽一、影山日出彌らの戦後第2世代でした。彼らが共通体験としていた「戦争」は、60年安保でした。学問的には戦後社会科学の影響を受けていた彼らは、主権論争や営業の自由論争などの華々しい論争を通じて、憲法学の水準を飛躍的に高めていきました。

戦後派の憲法学者が共通して持っていた問いは、「日本社会の基本構造とは何か」でした。近代派とマルクス派のアマルガムとして成立した戦後社会科学は、古典近代を執拗に追求することで、日本において体得されていなかった古典主義的・人文主義的精神を獲得しました。ただ、古典性を持つ近代を、初期近代の欧州に見出すか、産業革命期のイギリスに見出すか、フランス革命期に求めるかは、論者によって異なりました。憲法学者にとっては、比較対象国の選択にその関心が現れます。また、過ちを犯し続ける〈人間〉という不可思議な存在への問いも根源的なものとして重要でした。

戦後憲法学は、実質的第三次世界大戦である冷戦の戦中にあり、護憲論や平和主義論を展開していくことが、権力均衡システムの一翼として、憲法学説に割り当てられました。憲法9条なしに軍事力の統制を行い、国民の自由を確保できるだけの力量を、日本の議会政治が備えるまでは、理想論にとどまってしまったとしても、憲法学説がこの任務を放棄しては考えられません。

しかし、この役割こそが、憲法学説の議論の場に一種のタブーを生み出し、自衛隊違憲論によって、自衛隊員の正当性を剥奪してきました。憲法学説からこのタブーを打ち破ろうという動きがあっても不思議ではありません。しかし、その際には、ユートピア論の可能性を真剣に議論すべきではないでしょうか。

感想

戦後憲法学が負うことになった時代背景を知ることができました。正直に言うと、いわゆる「戦後派」って何となく食わず嫌いだった部分がありました。どうでもいいことばっかり研究しているような気がして。でも、彼らにとって平和主義や護憲論は、ただの理想論・運動論ではなく、権力均衡システムの一環であったんですね。これからも考え続けなければならない大きな宿題を発見できました。

*1:本文では、〈裂け目〉と〈持続〉。