ゆとり社会人の読書ノート&エクセルVBA

素人が公法を中心に幅広く読書をします&エクセルVBA奮闘記です。

山本隆司「客観法と主観的権利」長谷部恭男編『岩波講座 現代法の動態 1 法の生成/創設』(岩波書店、2014年)

岩波書店から17年ぶりに発行された法律学全般の講座ものです。

憲法に関しては、2007年に岩波講座憲法が全6巻で出版されています。また、2010年には法律文化社から人権論の再定位が全5巻で出版されています。ただ、後者は哲学臭が強めですが。

本書を読んだ目的はただひとつ、本論文を読むことです。

なぜなら、山本教授の『行政上の主観法と法関係*1』が難解で理解できないので、そのヒントになればと思ったからです。

で、本論文を読んだ結果ですが、あんまり理解できませんでした←

大要としては、個別主体の権利・利益を重視するドイツ行政法学も、組織を重視するフランス行政法学も、主観的権利と客観法をうまく整理できてないよね、両者を整理するためには、(主に)どのような利益が客観法に適合するかを判断する論証過程と、論証過程において考えた諸利益を、社会において実現するためのコミュニケーション過程を考えなきゃいけないよね、ということを言いたいのだと思われます。

とっても大雑把に言えば、主観的権利と客観法の関係を考えるにあたっては、「どのような利益をどのような主体が主張するか」をバランスよく考えないといけないということ(でしょう)。

上述の岩波講座憲法第2巻の石川論文*2で、主観的権利と客観法については分かったつもりになっていましたが、やはりまだまだ奥が深いようです。

いつの日か、『行政上の主観法と法関係』を読破できますように……

大要

さすがに、まとめ方が雑すぎると思ったので、まじめな要約を追加したいと思います。

要約したところで難解なことに変わりはないのですが(なんとなくは分かる気がするけど、言語化が難しい)…

ドイツ

19世紀後半のドイツでは、公法私法二元論を背景に、私人が国に対し「公権」を有する関係を観念することが重視されました。まず、手続法的局面において、取消訴訟の訴訟要件として「権利毀損」が要求され、加えて現在では、行政行為の違法による「権利侵害」が翻案勝訴要件とされるようになりました。次に、実体法上の公権は、国の行政機関に行為を義務づける法規範が、当該私人の個別利益を保護している場合に認められることとされました。この考え方は、「保護規範説」と呼ばれます。つまり、ある規範は、私人に対して公権を保障するとともに、国家に対して行為を義務づけることになります。

これに対して近時の学説(シュミット‐アスマンの説く「新保護規範説」など)は、次の4点のように考えるようになりました。つまり、①行政法規およびそれに基づく行政行為の多くは、衝突する諸私益の調整を目的とし、当該私益から主観的権利を基礎づけることができ、②私益と公益は連続的であり、③参政権も私人の権利に含まれ、④国が公益を実現する際、環境利益のような十分に考慮されにくい利益を主張する場合に、国と私人が「協働」する権利もある、と考えられるようになりました。

フランス

一方、フランスでは、個人の権利・利益を重視しませんでした。オーリウは、行政制度を「公役務の理念に服する組織に枠づけられた権力」であると捉えます。そこでは、国家と私人は法人格とその成員との関係として捉えられます。この法人格は3段階を経て形成されるとされます。つまり、①成員群と統治機関とが区別されているだけの純粋で単純な社団組織、②代表統治の段階、③諸機関の統治権力の所有としての主権が、集団の成員にわたっている段階、を経て、集団の成員には、機関の統治権力に対する反作用が認められ、権力の所有と件曲の行使との均衡が図られます。他方、ミシュウは、ドイツの学説を取り入れました。ミシュウは、人間集団の目的として利益が認められ、組織によって意志力が形成された集団に法人格を認めます。

客観法と主観的権利の関係づけ

以上のドイツ・フランスの学説を踏まえて、山本教授は、両者の関係づけを図ります。つまり、上述の通り、どのような利益をどれだけ実現することが、客観法に適合するかを判断する論証過程と、それらの利益をどのような主体に主張させるかを考えるコミュニケーション過程を通じて、客観法と主観的権利を関係づけます。両過程では、基本的に個人の利益を、当該個人が主張する権利を基礎に考える必要があります。しかし、不特定多数者の利益については、個別利益との連続性に鑑みて、適切な組織機構を持つ団体に主張適格を認めます。具体的な団体としては、公企業や地方公共団体、民間の団体などが想定されますが、これらの主体は、主観的権利を認められるにふさわしい透明性と組織機構を備えなければならないとされます。