シュミット-アスマン教授の行政法総論を読了しました。
大要
本書は、行政法総論の「総論」とも言うべき書で、行政法総論と銘打たれた日本の基本書とは一線を画しています。最初は、ドイツ行政法の(やや高度な)入門書かと思っていましたが、いい意味でその予想は裏切られました。どちらかといえば、昔の学者の書いた分厚い「体系書」の冒頭部分といった趣です。
本書には幸いなことに、山本隆司教授によるあとがきが付されているので、まともな解説はそちらをご参照ください。
シュミット-アスマン教授の業績は大きく4分野にわたっており、その成果が本書にも流れ込んでいます。
第1は、行政法総論の憲法上の基礎を解明する業績です。具体的には、国と市民の二分論、法治国原理*1、民主政原理*2について言及しています。
第2は、行政法総論の新たな「参照領域」についての業績です。旧来、行政法が「参照領域」としてきた、警察法や地方自治法、建設法、官吏法だけではなく、環境行政法、社会保障行政法といった新たな「参照領域」を分析すべきだと主張しています。シュミット-アスマン教授自身は、環境法、学問法において特に業績をあげているようです。
第3は、「行政法総論の改革」のための研究プロジェクトの主導です。
第4は、ヨーロッパ行政法への取り組みです。シュミット-アスマン教授は、EC法を、ドイツ行政法の問題点を照らし出すものとしてポジティブに捉えています。
つまり、シュミット-アスマン教授は、行政法総論を外(憲法、行政法各論としての参照領域、ヨーロッパ行政法)と中(行政法総論自体)から見つめ直しているということらしいです。
感想
本書全体の中でも、第2の、行政法総論の新たな参照領域について興味を持ったので、その点について書いてみたいと思います。
シュミット-アスマン教授は、行政法が実効性を確保する、すなわち、「制御」するうえで、その手段は法律に限られないとします。法による制御が基本であることに変わりはないものの、市場、財政、人員、組織も制御媒体としてあつかうべきであるとします。そして、法が用意する制御手法も、規制行政的な手法である、命令、禁止、許可、法規命令、命令的計画に限らず、補助金交付のような刺激創出的な方法もすべて体系に取り込むべきであるとします。このような財政的統制をふくんだ制御においては、経済性も考慮しながら行政を遂行していくことが求められます。そこで、財政法や予算法といった領域を、行政法総論に組み込んでいかなければならないと主張しています*3。このようなコントロールの主体として大きな役割を果たすのは、会計検査制度です。独立性と専門性を備えた会計院による検査報告は、(能動的な)公衆によるコントロールを活性化させるとしています*4。
ドイツにおいてこの議論がどのように評価されているかは分かりませんが、少なくとも、財政赤字が大きな問題となっている日本において、この記述が持つ意味は大きいのではないかと思います。
たしかに、財政によるコントロールが万能であるとは思いません。しかし、どのような分野にどれだけの支出がなされているのかという議論は、数字の議論になるため、(数字の理論的根拠はさておき)広く公衆が参加しやすい議論をになるのではないでしょうか。たとえば、自衛隊の合憲性云々といった法的議論より、防衛費がGNPの1%以内か否かという議論の方が、国家活動全体における「防衛」の重要性を考慮した議論になりやすいのではないでしょうか*5。
理想としては、国民全員がこのような議論に参加すべきなのでしょうが、少なくとも「能動的な」公衆に対して、財政をテコにした議論の可能性を開いておくことは、民主政の深化に役立つと思います。
まだ思いつきレベルの感想ですが、とても有益な示唆を得ることができたので、今後も勉強を進めていきたいと思います。